2025/7/2

裁判所に求めたい人道的判断

第5章:裁判所に求めたい人道的判断

 

賃貸借紛争における裁判所の役割は、単に契約条項を機械的に適用するだけではなく、当事者の置かれた状況に応じて公正な解決を図ることにあります。本件のように、高齢で生活基盤の脆弱な人が当事者の場合、裁判所には人道的な視点からの判断や配慮が強く求められます。

 

具体的には、まず判決における猶予期間の付与が挙げられます。建物明け渡し訴訟で貸主勝訴の判決が出た場合でも、裁判所は借主に対し直ちに退去するよう命じるのではなく、「〇ヶ月以内に明け渡しなさい」と一定の期限を与えるのが通例ですvs-group.jp

 

実務上、この猶予期間は数ヶ月程度になることが多いですが、ケースによってはさらに長い期間が与えられることも考えられます。特に借主に高齢や病気といった特段の事情があれば、判決主文で可能な限り長めの履行猶予を定め、福祉機関との連携や住み替え支援を受ける時間を確保してほしいところですreal-estate-law.jp

 

判決文という法的枠組みの中でも、裁判官の裁量で人道的配慮を示すことは十分可能です。

さらに、裁判所は訴訟手続の中で当事者に和解や解決策を促す調整者としての役割も果たせます。本件に類似するケースでは、自治体の福祉課や民生委員といった行政機関と連携して解決を図った例があります。

 

ある明け渡し訴訟では、借主の高齢者に認知症の疑いがあったため、裁判中に自治体と調整し介護施設への入所手続を進め、後見人選任の上で任意の退去に持ち込んだそうですreal-estate-law.jpreal-estate-law.jp

このケースでは、判決による強制的な排除ではなく、行政の支援によって借主の新たな生活環境を整えた上で穏便に明け渡しが実現しました。裁判所としても、例えば訴訟の口頭弁論を一時中断してでも行政介入を促したり、借主側に福祉制度の利用を勧告したりするなど、当事者が路頭に迷わないための知恵を絞る余地はあるはずです。

 

日本の借地借家法28条は、契約更新拒絶や解約申入れの場面で「正当事由」がなければ認められないと規定し、借主の居住継続の必要性を大きく考慮するよう求めていますgentosha-go.comgentosha-go.com

 

高齢や障害といった事情はまさに借主の居住継続の必要性を高める典型的要素です。

今回の事案では家賃滞納という債務不履行が問題となっていますが、信頼関係破壊の有無を判断する際にも同様に、借主の生活状況や健康状態などをより重く斟酌する判断基準が確立されることを期待したいところです。

たとえば、「滞納額は大きいが、借主は要介護状態であり公的支援下で支払い努力をしている」といったケースでは、直ちに契約解除とせず生活再建の見通しを立てる時間を与えるとか、福祉当局に引き継ぐ措置を講じるといった創造的な救済があってもよいはずです。

 

裁判所に人道的判断を求める背景には、「住まい」は生存に不可欠な基盤であり、単なる私的トラブルにとどまらず人権問題でもあるという認識があります。

憲法25条が保障する生存権(健康で文化的な最低限度の生活)には、安全な住居の確保が含まれると解されています。本件のように高齢者が住居を失えば、健康を害し社会との繋がりを断たれ、最悪の場合生命の危機すら招きかねません。司法はその最後の砦として、法の範囲内で最大限に人権を擁護する責務があります。

幸い、日本の実務でも少しずつそのような意識が広まりつつあります。

 

認知症の借主に対する明け渡し訴訟では、判決後の強制執行手続に入る段階で認知症が判明した場合、執行官が強制執行を一旦停止し行政と連携して対応する運用も行われていますreal-estate-law.jp

 

また、成年後見人の選任や特別代理人の付着など法的措置を講じる前に、実務上は行政機関へ「困っている高齢者がいる」と知らせ、福祉によるソフトランディングを図ることが推奨されていますreal-estate-law.jpreal-estate-law.jp

 

裁判所が直接福祉施策を執行することはできませんが、こうした関係機関との連携を促進する姿勢こそ、人道的な司法の在り方と言えるでしょう。

究極的には、法律そのものの整備も議論されるべきかもしれません。欧米の国では、高齢者や低所得者の強制立ち退きに特別の保護期間を設けたり、公的住宅への優先入居枠を設ける制度があります。

 

日本でも明け渡し猶予や居住確保のための法制度を拡充することが望まれます。しかし制度整備には時間がかかります。

 

目の前の裁判で救える命や生活があるならば、裁判官ひとりひとりの創意工夫によって**「法の人情味」**を示していただきたいと切に願います。

 

【第6章】予告テーマ:あなたにもできること──声を上げ、社会を変えるために