2026/1/9

第4回:私たちは、誰を信じなくなったのか

私たちは、誰を信じなくなったのか

──制度・社会・人のあいだで起きていること

 

制度の現場に立っていると、

近年、はっきりと感じる変化がある。

それは、制度が複雑になったことでも、

ルールが厳しくなったことでもない。

 

人が、人を信じなくなっているという変化である。

 

通勤電車でも、役所でも、入管でも、

まず前提とされるのは「疑い」だ。

説明は信用されず、

善意は前提とされず、

想定されるのは「例外」ではなく「不正」である。

 

これは制度が冷酷になったからではない。

制度を支えてきた信頼が、社会の側で摩耗した結果である。

 

信頼は、制度の土台である

制度は、性善説の上に成り立っている。

すべてを監視し、

すべてを証明させるようには作られていない。

 

説明を聞く。

理解しようとする。

虚偽でないことを前提に対話する。

 

こうした姿勢が共有されている限り、

制度は多少不完全でも機能してきた。

 

しかし今、その前提が失われつつある。

「どうせ信じられない」

「裏があるはずだ」

「まず疑うべきだ」

 

この空気が広がるとき、

制度は本来の姿を保てなくなる。

 

信頼を失った制度は、管理に向かう

信頼できない社会では、

制度は次第に管理へと傾く。

 

・証明書類が増える

・例外が認められなくなる

・形式が優先される

 

これは不親切さではない。

信頼を前提にできなくなった結果の自己防衛である。

 

だが管理が強まるほど、

人は制度を信頼しなくなる。

「どうせ信じてもらえない」

「正直に話しても無駄だ」

 

こうして、

信頼の喪失は循環を始める。

 

外国人問題に現れる「不信の連鎖」

外国人問題は、

この信頼の崩壊が最も分かりやすく現れる場所である。

 

言語や文化の違いがあることで、

「理解できない」

「確認が必要だ」

という感覚が強まりやすい。

 

だが、ここで起きているのは、

外国人への不信ではない。

他者一般に対する信頼の低下である。

 

外国人を疑う社会は、

やがて高齢者を疑い、

生活困窮者を疑い、

制度に不慣れな市民を疑う。

 

不信は、対象を選ばない。

 

信頼を失うと、社会はどうなるのか

信頼を失った社会では、

次のような変化が起きる。

 

・制度は「使うもの」から「避けるもの」になる

・対話は減り、書類が増える

・支援は条件付きになり、排除が増える

 

これは、秩序が保たれているように見えて、

実際には社会の柔軟性が失われている状態だ。

 

トラブルは減らない。

ただ、表に出なくなるだけである。

 

信頼は「回復させるもの」なのか

では、失われた信頼は、

どうすれば回復するのだろうか。

 

制度を厳しくすればよいのか。

監視を強めればよいのか。

 

おそらく、どちらも違う。

 

信頼とは、

制度によって与えられるものではない。

人が引き受ける態度によって、

少しずつ積み重ねられるものである。

 

説明を省かないこと。

理解しようとすること。

関わることを避けないこと。

 

これらは効率が悪い。

だが、信頼は効率では生まれない。

 

結語:信頼を引き受けるという選択

私たちは、誰を信じなくなったのか。

その問いは、

「誰を信じるか」を選び直す問いでもある。

 

制度を疑う前に、

他者を警戒する前に、

社会として何を前提に生きたいのか

を考える必要がある。

 

信頼を引き受けることは、

危うさを引き受けることでもある。

だが、それを避け続けた社会に、

成熟は訪れない。

 

この問いもまた、

まだ終わっていない。

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